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エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1618-1680) : ミニ英和和英辞書
エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1618-1680)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1618-1680) : ウィキペディア日本語版
エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1618-1680)[ちょうおん]

エリーザベト・フォン・デア・プファルツElisabeth von der Pfalz, 1618年12月26日 ハイデルベルク - 1680年2月8日 ヘルフォルト)は、ドイツプファルツ=ジンメルン家の公女で、帝国修道院の1つヘルフォルト女子修道院Stift Herford)の修道院長(在任1667年 - 1680年)。修道院長としてはエリーザベト3世Elisabeth III. von Herford)と呼ばれる。またエリーザベト・フォン・ベーメンElisabeth von Böhmen)の名で呼ばれる場合もある。ルネ・デカルトとの哲学的な往復書簡で知られている。
プファルツ選帝侯フリードリヒ5世とその妻でイングランドスコットランドジェームズ1世の娘であるエリザベス・ステュアートの間の第3子、長女として生まれた。父がボヘミアの対立王に選ばれたために三十年戦争に巻き込まれ、亡命者として生涯を送ることとなった。幼少時は父方の祖母ルイーゼ・ユリアナに、1627年にデン・ハーグに移ってからは母エリザベスに養育された。ごく若くして亡命生活を強いられたことで、逆に本格的な学問に触れる機会を手に入れ、確固たる世界観を持つ女性に育った。
エリーザベトは最初はオランダ人女性哲学者アンナ・マリア・ファン・シュルマンと、次いでフランス人哲学者のルネ・デカルトと交流を深め、デカルトとは彼が亡くなるまで活発な文通を続け、デカルトの最も熱心な弟子の1人であった。
流浪の身のエリーザベトは長く従弟のブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)の宮廷に逗留し、その後は大選帝侯の妹でヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム6世に嫁いだヘートヴィヒ・ゾフィーを頼ってカッセルで暮らした。1634年から1635年にかけ、カトリック信徒のポーランドヴワディスワフ4世から求婚されたこともある。ヴワディスワフ4世はローマ教皇から特免状を取り付け、元老院にもエリーザベトとの結婚を承諾させたが、エリーザベトは国王にカトリックへの改宗を求められると、断固として拒絶したため破談となった。
1661年にヘルフォルト女子修道院の補佐修道院長(Koadjutorin)となり、1667年に修道院長に就任した。長い年月の間に、エリーザベトの精神には夢想的・神秘的な傾向が色濃くなり、1670年にはラバディストLabadists)を、その後はクエーカー派をヘルフォルト修道院領に受け入れた。しかしエリーザベトの神秘思想に対する愛好は、敬虔なルター派信徒である修道院領内の住民たちとの紛争の種になった。
== 参考文献 ==

* Helga Bei der Wieden: ''Ein Schloß auf dem Mond und eine Versorgung in Westfalen. Der Weg der Pfalzgräfin Elisabeth nach Herford''. In: Historisches Jahrbuch für den Kreis Herford 1998 (1997), S. 7–38.
* Helge Bei der Wieden (Hg.): ''Elisabeth von der Pfalz, Äbtissin von Herford, 1618–1680. Eine Biographie in Einzeldarstellungen'' (= Veröffentlichungen der Historischen Kommission für Niedersachsen und Bremen; 245), Hahn, Hannover 2008, ISBN 978-3-7752-6045-9 (Rezension )
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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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